山行の記録|大宮・村山口登山道を辿って水ヶ塚まで行こうとして敗退したお話しです

先日、水ヶ塚公園から富士宮六合目まで辿った村山口登山道。

とても整備された素敵な登山道だったので、スタート地点となる村山浅間神社から水ヶ塚公園までのルートを歩くことで、軌跡を繋げてみようと今回挑戦してきました。

ただ、ちょっと欲張ってしまって「富士山本宮浅間大社」も繋げて「大宮・村山口登山道」として歩いてみたら見事に大失敗。

途中敗退することとなりました。

それでも、初めての土地、初めての登山道を探検する楽しさを味わうことができたので、もし、あなたが知らない土地を探検することに、不安より楽しさを感じる性格だったら、結構楽しんでもらえるんじゃないかなと思います。

どうぞ、最後まで読んでいってくださいね。

目次

基本情報

まずは、今回の山行についての基本情報です。

山行の基本情報

日付:2022/6/4

天候:曇り

エリア:富士山エリア

コース概要:JR見延線「富士宮駅」〜富士山本宮浅間大社〜山宮浅間神社〜村山浅間神社〜馬頭観世音〜五辻〜村山浅間神社〜吉原宿〜富士塚〜JR東海道線「吉原駅」

難易度:体力☆☆☆、技術☆、危険☆☆

交通機関:

(往)JR見延線「富士宮駅」からスタート

(帰)JR東海道線「吉原駅」から帰路へ

概要

富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんじんじゃ)

「富士山本宮浅間大社」は静岡県富士宮市にある、日本全国1,300社あるといわれる浅間神社たちの総本山です。

名前に大社がつくのはここ「富士山本宮浅間大社」だけなので、わかりやすいかと思います。

富士山を御神体として、主祭神を「木花之佐久夜毘売命」(このはなさくやひめのみこと)としている点は、他の浅間神社と変わりません。

由来はおそらく浅間神社の中で最古だろうと思われる、紀元前27年。

当時、活発に火山活動を続けていた富士山を鎮めるために、第11代の垂仁天皇が、山足之地(やまあしのち)に富士神を祀ったことが起源なんだそうです。

吉田口の「北口本宮冨士浅間神社」と須山口の「須山浅間神社」は、日本武尊の東征の時期とのことなので西暦110年前後、須走口の「須走浅間神社」は西暦807年前後の創建ということなので、一つも二つも世代が違うということになります。

なお、山足之地(やまあしのち)というのは富士山の麓という意味で、特定の場所を指す用語では無いようです。

麓の適所を選んで、都度、祭事を行ったことを示してるのだとか。

この場所に社殿ができたのは、西暦806年。

日本武尊東征をきっかけに、後述する「山宮浅間神社」にあった御神体を、後に征夷大将軍となる坂上田村麻呂が遷座して現在の形となりました。

その後は、朝廷だけでなく武家社会でも尊崇を集めて、さまざまな寄進、修造などを受けて今に至っているようです。

また、「大宮・村山口登山道」と呼ばれた登山道の起点ともなっており境内の「湧玉池」にて禊ぎをして、身を清めてから山に入ったと言われています。

関連リンク

「富士山本宮浅間大社」の公式サイトです。浅間大社のこともっと知りたい時には以下のURLよりご覧ください。

ギャラリー

正面の大鳥居です。でっかいです。
楼門ってやつです。二階造りの門のことを特にそう言うそうです。ちなみに、一階にも屋根があると二重門にレベルアップするとかなんとか。
拝殿です。〆縄もでかかったです。さすが大社。
横っちょから本殿をチラ見してみました。二階建てなのは珍しいのだそうです。徳川家康からの寄造なんだとか。
境内図がありました。信玄桜が見頃の時にもう一度来てみたいですね。
湧玉池近くの水屋神社にあった御霊水。湧水が流れ出ているホースがあるので、そこから汲んで持っていくみたいです。
湧玉池です。水が透明できれいでしたよ。

山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)

「山宮浅間神社」は、静岡県富士宮市山宮にある浅間神社の一つです。

前述の「富士山本宮浅間大社」の起源となる場所です。

日本武尊が東征途中に立ち寄った駿河国で賊徒の攻撃に遭い、富士の神様「浅間大神」にお願いして窮地を脱することができたことのお礼に、この地に磐境(いわさか)をつくり、祀ったことが由来になるそうです。

その後は、前述「富士山本宮浅間大社」に記載した通りです。

特徴的なのが、境内に社殿が無いことで、富士山を遠くに見て拝む遥拝所(ようはいじょ)として、当時の形のまま置かれている点でしょうか。

富士山登拝のルートからは外れているので、登山者が立ち寄る場所ではなさそうでした。

関連リンク

静岡県富士宮市公式サイトの「山宮浅間神社」説明ページです。こちらにも色々と情報が載っていますので、気になったら以下URLよりご覧ください。

ギャラリー

正面鳥居です。ここをくぐっていくと
その先にもう一つ鳥居があります。
形が三角形ですね。富士山の形の石をチョイスしたのかな。
拝殿の代わりみたい建物がありました。
遥拝所に向かう道です。真ん中の石は鉾立石。里宮にあたる「浅間大社」とここ山宮との間を鉾に神様を宿らせて行き来するという神事があるようで、一休みするときに鉾をここに立てかけていたんだそうです。神様を地べたに置けないですしね。
階段の先には柵があり
その中が遥拝所になっていました。写真で見ると何も無い場所ですが、その場に立つと何かが近くに居るような変な感覚になりました。わたし、霊感とか強くないニンゲンなのですがなんでしょうね。雰囲気に飲まれてたのかもしれません。

村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)

「村山浅間神社」は、静岡県富士宮市村山にある浅間神社の一つです。

元々は、興法寺(こうぼうじ)と呼ばれる寺院が立っていた場所で、富士山における修験道の先駆者である末代上人に関連する修行者により成立されたとのことです。

ここを起点に「村山口登山道」というのが開拓されて修験者による富士山登拝が盛んに行われたようです。

また、「富士山本宮浅間大社」を起点とする「大宮口」から合流するルートとして「大宮・村山口登山道」という名前でも呼ばれているようです。

非常に栄えた村山浅間神社ですが、江戸時代に宝永大噴火により「村山口登山道」が大打撃を受けて、登拝に訪れる人が激減します。

その後、明治時代に入り廃仏毀釈によって「興法寺」から今の姿「村山浅間神社」となったものの、衰退は止まらずにいつしか訪れる人もいなくなってしまいました。

近年、平成に入り「村山口登山道」復活の手が入り、それに伴い「村山浅間神社」を訪れる観光者や登山客が増えてきているようです。

なお、ここ最近に入って富士市が企画し、大々的に推している「富士山登山ルート3776」ですが「村山浅間神社」は通りません。

大きく東にズレて「ふじのきパーク」に至り、その後、「水ヶ塚公園」付近から山道に入るようです。

「富士山登山ルート3776」が昔ながらの「村山道・村山口登山道」を通ると思われているようだったらご注意くださいね。

関連リンク

静岡県富士宮市公式サイトの「村山口登山道、村山浅間神社」の説明ページです。

気になったらこちらも参考にしてみてください。

ついでに、村山口登山道を水ヶ塚公園から六合目まで辿った記録もあります。

気になったら、こちらのURLもご覧になっていってくださいね。

ギャラリー

正面の鳥居です。
大日堂です。ガイドさんにお願いすると、中に入って説明が受けられるみたい。今度、お願いしてみようかしらね。
こっちは拝殿です。境内に寺院と神社がそれぞれあるのも珍しいですよね。
正面の階段を更に登ると
氏神社があります。末代上人を祀ってあるのだとか。この左側を通って村山道に出ることができます。

今回の山行上でのポイント

地図上の位置と標高

まずは、今回の山行で歩いた場所について、地図上の位置、標高を示します。

また、「Download file」のリンクからGPXデータとしてダウンロードできます。

ご自由にご活用ください。

合計距離: 37409 m
最高点の標高: 694 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 1317 m
累積標高(下り): -1430 m
総所要時間: 10:37:12
Download file: climbing-record-20220604.gpx

歩いた軌跡

続いては、GPSデータを元にした軌跡です。

市販の地図

今回の山行ルートが掲載されている市販の地図も載せておきます。

本来であれば、国土交通省国土地理院のサイトから2万5千分の1地形図を購入、印刷して持参するのが正しい在り方ですが、毎回それだと面倒なので、紙面の地図は5万分1の市販地図をザックに入れて持って行くことにしています。

わたしの山行でのメイン地図はGPSアプリに移っており、紙面地図は予備扱いなため、今のところこの運用で困った事態には陥っていません。

ただ、読図の勉強をちゃんとしたい場合は、2万5千分の1地形図を購入した方が良いです。

5万分の1の等高線は荒すぎて地形把握には、ほぼ役に立たないのでご注意くださいね。

おすすめ展望ポイント

今回の山行ルート上の展望ポイントは、ありませんでした。

遥拝所が多かったので、お天気よければ富士山の眺めがたくさん楽しめそうでしたが、残念です。

展望の楽しめたポイント
  • 今回はありません

注意した方が良さそうな区間

今回の山行ルート上で、注意したほうがよさそうな区間は、次の通りです。

注意した方が良さそうな区間
  • 五辻付近の崩壊地
五辻付近の崩壊地

今回の山行ルート上で、注意した方がよさそうな区間は「五辻付近の崩壊地」です。

過去の土砂崩れによるものだと思いますが、大きく抉れた溝が走っていました。

場所によっては溝の底から縁まで2m以上あるだろう高さとなっていて、万が一、足を滑らせて落下すると怪我する恐れがありました。

溝の中は泥濘状態で、顔を覗かせている花崗岩の半分には苔が生えてとても滑りやすく慎重に足を進める必要がありました。

帰宅後に調べてみると、溝の中を進むとか、登り方面だと向かって左縁を登る新しい山道が設定されているとかの情報がありましたが、わたし自身まだ踏破できていないので正しい情報かはわかりません。

改めて踏破できた時に、攻略情報として掲載したいと思います。

いずれにしても、荒れた地になっていましたので通過の際はご注意ください。

ギャラリー

林道の途中でガッツリと崩れています。ここは1mぐらいの深さなので、問題なく降りられました。
迂回して、また崩壊地に戻ってきます。少し上流にあたる場所でこっちは2mぐらいの深さになってました。ちょっと飛び降りるのには「難あり」だったので縁を通って反対側へ浅そうな場所から渡渉しました。
更に上流です。地図の方向だとこの中を進むようになっていますが
最近歩いた人が居ない感じで、靴底が泥だらけになってしまい。途中で引き返しちゃいました。今現在は、登り方向からだと向かって左の縁に登っていくと新しい登山道があるそうです。確かにピンクの目印が続いていたような気がします。

今回の山行での服装

今回の山行では、次のような服装の組み合わせを持参していきました。

同じ時期に赴かれるときの参考にして見てください。

  • ベースレイヤー:半袖Tシャツ
  • ミドルレイヤー:薄手の長袖Tシャツ
  • アウター:ソフトシェル、レインウェア
  • ボトムス:薄手の長ズボン、厚手のソックス
  • その他:手ぬぐい、ネックゲーター、薄手の手袋

この日は、終日半袖Tシャツでの活動となりました。

大半が街中歩きで気温が高かったため、始終発汗があって背中はびっしょりになっていましたが直ぐに乾いてくれて、冷えを感じることはありませんでした。

一箇所だけ半袖で難儀したのは、藪漕ぎ中に草木を押し退けた右膝に強烈な痒みを感じたシーンです。

恐らく、かぶれを誘発する草木に触れたのでしょう。

薮から出て直ぐは、赤く腫れていましたが、水で流し洗うことで事無きを得ることができました。

長袖の薄いTシャツの購入を検討してみたいと思います。

交通機関での移動中も、半袖Tシャツで済みました。

これから梅雨に入って蒸し暑くなっていきます。

薄手の服装がメインになりそうですね。

以下の記事にわたしが里山登山に使っているウェアの具体的な品名や組み合わせについてまとめていますので、詳細知りたいようでしたら合わせて読んでみてください。

あなたが、同じ時期の同じ界隈に赴くときの参考になれば幸いです。

山行の記録

ここからは、今回の山行について述べていきます。

アプローチ

今回は、「大宮・村山口登山道」を起点から辿ってみるために「富士山本宮浅間神社」のある、JR見延線「富士宮駅」からスタートすることとしました。

「東京駅」からは東海道線で「吉原駅」まで向かい、身延線に乗り換えて「富士宮駅」へ向かうことになります。

始発の時間帯は、「東京駅」から「吉原駅」まで直結する便は出ていないので、熱海もしくは、三島、沼津あたりで更に西の「浜松」に向かう電車に乗り換える必要があります。

加えて、「吉原駅」から乗り換える身延線は無人駅が多く、ワンマン車両の運転手が車内にて精算するようです。

「富士宮駅」は大きな駅だったので問題無かったですが、途中の小さい駅だと下車する際の精算で手間取るかもしれません。

と言うのも、JR東日本とJR東海道で管轄が異なる区間に乗り入れた場合、Suicaでの自動精算ができないと言う困った点があるためです。

三島駅や沼津駅といった大きな駅の有人改札でも、手慣れた駅員さんじゃないとかなり時間を取られます。

運転手の方は、運転がメインで精算にそこまで手慣れているとは思えないので、ちょっと時間がかかるかもしれません。

乗り換え時間に余裕があるなら、熱海駅で一度改札を出てしまい、同一管轄内での移動にしてしまうのも手かもしれませんね。

「富士宮駅」周辺のおトイレ事情は、ホーム内に一箇所、南口構外に一箇所のようです。

「富士山本宮浅間大社」は北口になるので、ちょっと使い勝手は良くなさそうです。

大社の方におトイレありましたので、そちらをお借りした方が捗るかなと思います。

身支度は、浅間大社の境内にあるベンチの一角をお借りしてしまいましょう。

ギャラリー

「東京駅」から東海道線沼津行きの始発で移動です。今回は「熱海駅」で乗り換え予定なので、階段に近い最後尾車両に乗り込んでおきます。
東京はお天気良さそうでしたが、静岡は曇り予報でした。
熱海駅です。ここから「浜松行き」にお乗りかえ。お隣のホームですが、乗り換え時間は10分以上あるのでゆっくり移動です。
この子に乗り換えます。
お隣ホームに移動して
女学生さんがいっぱいの便で、ちょっと圧倒されてしまいました。土曜日は学校お休みでは無いのですね。
「富士駅」で降りて、今度は身延線にお乗り換え。
一番ホームに向かいます。
ワンマン電車ってすごいですよね。運転手が精算もするとか忙しそう。
そして「富士宮駅」です。ようやく着いたといった感じです。
この駅の構内おトイレは、このホームにしか無いのでご注意ください。
精算が必要なので有人改札にまわります。
こいつが自動改札を通れない原因です。エリア外からの乗り入れもできるようにして欲しいなあ。だって、都内の地下鉄・私鉄からは乗り越しに対応できているワケでしょ。同じ系列なら、更に対応し易いと思うのだけれどな。
改札を出たら右へ
ちゃんと案内も出てるので見落とさないように
北口を出たところ。ここからスタートです。
富士山憲章だそうです。看板の上の方が富士山の形になっているのが印象深いです。しかも宝永山の出っ張りが右側にあるとか。上方から見るとこう見えるんですね。面白いものです。

JR見延線「富士宮駅」〜富士山本宮浅間大社

富士宮駅に到着したら、階段を上がって改札を出ます。

改札を出たら「富士山本宮浅間大社」は北口方面です。

距離はそれほど離れておらず徒歩10分で到着できます。

道中の道案内も豊富に出ているので辿り着けないと言うことはないはずです。

境内はとても広く、初見であれば案内図を見てから動いた方が良いです。

正面の大鳥居から、鏡池、鉾立石、楼門と進んだら拝殿でご挨拶をして東方面に進みます。

湧玉池が見えてきたら、周囲にいっぱい椅子が置いてありますので、どれか使って身支度を整えて出発しましょう。

ギャラリー

富士宮駅北口を出たら北西方面に向かいます。
大きなマンションの足元まで向かって地表に降ります。
上から見た図。左脇を進むことになります。
降りた図。ここを真っ直ぐです。
足元の案内タイルに沿って進みます。
真っ直ぐ進んでいくと
赤いのが見えてきました。
ここを右に入ると
富士山本宮浅間大社に到着です。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の影響でしょうか。巻狩の地を示す登りがいっぱい立ってました。
拝殿に向かいます。
楼門の前にある小さな池にも名前があって「鏡池」と言うようです。
拝殿前に立つ楼門です。両脇の日の丸が良いですね。赤い楼門とよく合います。
楼門正面には、「鉾立石」があります。以前は4月と11月に大々的に行われていた大祭礼という祭事があり、里宮である「浅間大社」から山宮である「山宮浅間神社」へ御鉾に宿らせた神様が御神幸なさる催しだったそうです。里帰り的なイベントと言ったらいいんでしょうかね。その際に、神様の宿った御鉾を地べたに置くわけにもいかないので、この石に立てかけてお休みしたのだとか。鉾立石は「山宮浅間神社」にもありますが、こっちの方が大きいですね。
左手には手水舎があるので、清めてから拝殿に向かいます。
拝殿正面です。大社の社殿は赤で統一されているのが素敵ですね。お掃除のおじちゃんのお尻はご愛嬌で。
ご挨拶していきます。しめ縄がでかいのが印象的でした。
拝殿に向かって左には授与所があります。おみくじやお守り、置いてます。おトイレはその先、門の外にありました。
門を出てまっすぐ突き当たりを右に行くとおトイレです。出発前に済ませておくと良いです。
授与所まで戻ると、「火山弾」が飾ってありました。「須走浅間神社」のものよりはちょっと小降りかな。宝永大噴火の影響は、御殿場方面の方が大きかったということでしょうか。
そのお隣に何故か「南極の石」が置いてありました。昭和基地に赴いた方からの奉納品だそうです。
続いて拝殿向かって右に進んで「湧玉池」にも立ち寄っていきます。
こちらが「湧玉池」です。大宮口から富士山に登拝する道者は、この池で禊ぎをし、身を清めてから出発したそうです。
池の直ぐ隣には「水屋神社」があり、水を汲むことができます。
念の為、煮沸してから飲むようにだそうです。
500mlのペットボトルが置いてあって、お賽銭をお渡ししたら、この入れ物にお水を入れて持ち帰るスタイルみたいですね。
「禊所」なる場所もありました。一段下がっている場所だったので、禊ぎすることできそうでしたが、私一人だけガチ登山の格好で、ちょー目立っていたので辞めておきました。
池のほとりには石の座席が点在していたので、こちらの一角をお借りして身支度を整えさせてもらいました。
池の中にある小島には「巌島神社」の末社がありました。こちらにもご挨拶しておきます。
東門前まできました。説明文読み忘れたので、写真に写った文字で読んでおこうと思います。
御神幸の時に通った道順についても説明されてました。今回は、これに沿って「山宮浅間神社」まで進んでみます。

富士山本宮浅間大社〜山宮浅間神社

「富士山本宮浅間大社」を出発したら、「御神幸道」と呼ばれる車道を進みます。

「水ヶ塚」へ向かう道案内に沿って進んでいけば間違い無いです。

非常に交通量の多い道です、バスや大型トラックもひっきりなしに通るので気をつけて通過してください。

途中に目立ったランドマークの無い淡々とした車道を1時間から1時間半歩いていくと「山宮浅間神社」「村山浅間神社」それぞれの表札が出てきます。

「山宮浅間神社」方面へ直進すると10分から15分で正面鳥居まで来れるはずです。

そこからは、境内に入り最後の急階段を登り切れば遥拝処に到着です。

天候に恵まれていれば、柵の向こう側に富士山が見えることでしょう。

ギャラリー

東門を出たら、交通量の多い車道を進みます。
東門にあったバス停。すごく色が褪せているのはなんでだろう。
お地蔵さんがいっぱい立ってました。目礼で通過します。
公園の脇を抜けると
中学校の校庭で野球部が練習してました。
スーパーを通過して
健康ランド的な建物の横を進みます。
警察署が見えてきました。警官募集だそうです。ハードな職業なので人材不足気味なのかしら。
コンビニを通過して
軽く東へカーブしていくと
宮バスなる市営バスの停留所がありました。可愛らしいですね。
水ヶ塚方面へどんどん歩きます。
富士宮口の案内が出てきたあたりで
山宮浅間神社の文字が出始めました。そろそろかな。
ここを真っ直ぐ
交差点も真っ直ぐ
そうすると、駐車場の看板が出ていたので左折してみます。
ここを矢印のように進むと
道祖神の石像が立ってました。
車道の裏側みたいな道を通ると
それらしい案内が立っていて
山神社が見えてきました。
ご挨拶をして先に進みます。
交差点に差し掛かると、白い大きな鳥居が見えてきました。
ようやく入り口に到着です。浅間大社から歩いて1時間と言ったところでしょうか。
綺麗に並んだ石灯篭を通り過ぎると
もう一つの鳥居がありました。ここを向かって右に向かうと案内所とおトイレがあります。
まずは真っ直ぐ遥拝所に向かって進みます。
お賽銭箱があって
左手には手水舎。
小さなおトイレもありました。
お賽銭箱の先に、階段が見えてます。あそこを登ると遥拝所となります。
道の真ん中に石ころが置いてありました。
この子が「山宮浅間神社」の「鉾立石」になります。
更に進むともう一つ。
これも「鉾立石」なんだとか。
そして、階段を登り切った先に囲いに囲まれた場所があり
ここが富士山への遥拝所になります。普段、こういう場所で何か感じるような性分では無いんですが、なんでかこの場所だけは気になってしまいました。富士山が見えたわけでも無いのになんでだろうか。
お隣に立つ案内です。晴れていれば、こんな感じに富士山を拝むことができる場所みたいです。また来よう。

山宮浅間神社〜村山浅間神社

「山宮浅間神社」の遥拝所でご挨拶を済ませたら、正面鳥居から東方面に出て「山宮工業団地」に向かいます。

そして、団地内を通過して国道469号に乗ったら1時間車道歩きを続けます。

ここまでくると、少し標高も上がっているので、若干ではありますが周囲への展望を得られる場所も出てきます。

特に、西方面に見える山並みが綺麗でした。

「村山浅間神社」に到着したら正面鳥居をくぐり抜けて、「大日堂」「社殿」とご挨拶し、階段を登って「氏神社」に向かいます。

「氏神社」は、この地を開いた「末代上人」の霊を祀ったお社になるようです。

ここから左手に道が伸びているのでそちらに向かうと「村山道」の案内があり先に進むことができます。

ギャラリー

遥拝所でのご挨拶が終わったら、次の目的地「村山浅間神社」に向かいます。
お賽銭箱の裏に御朱印がありました。気がつかなかった。御朱印集め、やってないんですけどね。そのうち集めてみようかしら。
石灯篭を抜けたら左折すると
おトイレ兼案内所があります。ここでガイドを頼めるみたいですね。
いろんな地図も張り出してありました。
御神幸って、浅間大社と山宮浅間神社の往復だと思ってたのですが、このマップからすると違うのかしらね。
「村山浅間神社」へ向かうのもありました。これを参考にさせてもらいましょう。
さっきの地図によると、ここの駐車場を左折して工業団地に入り、国道469号に沿って向かうようです。
それでは車道歩き再開です。
気になる紅葉天満宮脇を通過します。
工業団地の案内が見えてきたので、ここを右折。
真っ直ぐ進んで
一発目の交差点も右折です。
左に緩くカーブしながら降っていきます。
脇道に目もくれずに歩いていくと
横断歩道が見えてくるので、そこを右へ
貯水池を左に見つつ進んでいくと
源頼朝の硯石なるものがありました。
ここで墨をすったとか。まー。すれなくはなさそうですが、どうかなー。
硯石を通過すると大通りに出るので左折します。
これが469号線でした。あとは真っ直ぐ進みます。
交流プラザなんてものがありました。
お子さんたちのキャッキャする声が響いていたので、そういう施設なんだろうと思います。入ってないので想像ですけど。
ここも交通量が多いので、注意しながら進みます。
今回唯一の山への眺望です。登ったことの無い西域の山々なので、新鮮でした。
手前の市街地は富士宮市でしょうか。
海岸線も少しだけ見えました。
村山浅間神社の案内が見えてきたので左折していきます。
左がおトイレ、右が神社正面へ向かうようです。
左をのぞいてみると、こんな感じでした。
目的は神社なので、右へ。正面の鳥居がありましたので、お辞儀して入ります。
最初に目についたのは、でっかい杉です。
首が直角に曲がるぐらい高いです。
案内によると、真ん中に穴が空いているとか。末長く立っていて欲しいものですね。
水垢離場だそうです。昔はここに水を貯めて禊ぎをしたみたいですね。
明王様の石像がありました。
ここで護摩を焚いたのだそうです。
大日堂にまわってみます。
中でガイドさんから観光客が説明を受けていたので、そっと離れます。
なんかちょっとキモい感じのでかい木がありました。
イチョウの木だったみたい。ぶら下がってるように見えるところを「乳」と呼んでいて、先端に針を刺すとお乳が出るようになるんだとか。針刺すとか、ちょっとムズムズしちゃいますね。
こちらが拝殿です。地元の方のご挨拶を待って、わたしもご挨拶していきます。
境内の中央に、赤く目立つ鳥居がありました。
氏神社だそうです。末代上人を祀ってあるみたいなので、こっちにもご挨拶していきます。
戸が空いていて、話し声が聞こえたので軽くご挨拶をして、早々に立ち去ります。
この横に道が付いていたので進んでみると
車道に出ました。
この車道を進むと、村山道になるみたいです。進んでいきましょう。

村山浅間神社〜馬頭観世音〜五辻

「村山浅間神社」から出ると車道を登っていくことになります。

村落と畑の中を進んでいくと、進行方向左に前触れなく「富士山村山古道」の案内が立っており石畳の道が奥に続いている分岐にたどり着きます。

ここから「村山口登山道」に入ることになるのですが、正直ここの道は雰囲気を味わうだけの道なので、正直な話をしてしまうと並走している車道をそのまま北上することをお勧めします。

確かに山道の雰囲気はあるのですが、整備はほとんどされていないようで、倒木や藪でとても進みづらいですし、5mも離れない位置に車道が並走しているので、距離を短縮できるわけでもなく、わざわざ藪漕ぎするためだけに入るような道になってしまってました。

右膝がかぶれたのもこの区間での藪漕ぎでしたし、初見でお試しで入る以外に足を踏み入れる必要はないでしょう。

真っ直ぐに車道を進んでいくと、鎖で通行を妨げている箇所に到着します。

鎖の隣に立つ「村山道」の道案内は、鎖の中を進むよう指しているのですが、その真横に法人組織が立てた「立ち居入り禁止」の看板も出ています。

ネットが入る場所だったので、対象組織を調べてみましたが短期間だったからよく解らなかったので、思考停止して入ってしまうことにしました。

真新しい林道をしばらく進んでいくと、土砂流れがあったと思われる崩壊地に到着しました。

2mぐらいの深さの溝を越えて進んでいくと、樹林帯の中のちょっとした空間に到着します。

ヤマレコGPSアプリが指し示す場所は「五辻」となっています。

方向的には、隣接して走っている深く抉れた涸れた沢の中を進むようになっていましたが、常時、泥濘の中を進む感じで、誰か歩いたような形跡がありません。

戻って、今度は進行方向右側についた青い目印を目標に先に沢の縁を進んでみましたが、深い藪に阻まれて途中から進めません。

これは進行方向左側に進むのが正解だろうと思ったのですが、現在時間を確認すると14時を回っており、このまま「水ヶ塚公園」に向かっても最終バスが出た後に到着するペースになることが分かったので、今回はここまでで引き返すことにしました。

ギャラリー

ここからも車道歩きが続きます。今回は大半が車道になっちゃってますね。
ツツジがまだ咲いてました。
まだまだ元気ですね。
これはなんだろう。火山岩でしょうか。
何の前触れも無く、村山古道の案内が出てきました。
足元に入り口と書いてあるので、ここで間違いなさそうです。
入ってみると石畳の道が続いていて
すぐに荒れた道になりました。
倒れた枝をくぐって、跨いで進むと
しばし穏やかな道となりましたが
今度は薮に覆われた道に突入です。
冬場なら行けそうですが、この時期まで来ると草木が生い茂っちゃって進めません。
両腕で草木を押し退けつつ進んだものの、右腕に猛烈な痒みを感じたので、その時点で車道に撤退しました。すぐ横を車道が走っててよかった。
半袖Tシャツも考えものだなと反省しつつ、赤く腫れてきた患部を水で洗い流して、以降は車道を進みます。
案内図が立っていたので、頭に入れて先に進みます。
永遠と車道を進むと
杉の道となって
鎖で通行止めされた場所につきました。
横を見ると、村山道の案内が中を進むように指していますが、その隣に「私有地、立ち入り禁止」の看板も出ています。
石像には馬の字が見えたので、馬頭観音像なんだと思います。
ちょっと迷いましたが、鎖をくぐって先に進むことにしました。
すごく整備された道を進むと
ロープで通行止めされた分岐地点に到着したので、閉鎖されていない左手を進んでみます。
普通の林道を進むと
崩壊地に到着しました。ここは1mぐらいの深さだったので、降りて登り返して先に進みます。
真っ直ぐ進んで
分岐が現れたので、ここを右折しました。
そうすると、先ほどの崩壊地の上流に辿り着きました。こっちま2mぐらいの深さになっていたので、ちょっと降りるのは嫌だなと思って周囲を見渡すと
左手に浅くなっている場所があったので、そっちに向かって進みました。ちょっと、滑りやすかったので通過の際は注意した方がよさそうです。
村山道の案内が出てきたので、今の所、道順はあっているようですね。そうなると、馬頭観音像のところに張ってあった鎖と立ち入り禁止の看板が気になってきました。
帰ったら調べてみることにして先を進みます。
人口の階段が見えてきましたが、ここは逆側が正解のようです。
階段方面を覗いてみると送電線に向かっているので違いました。
暫く、わかりやすい道を進むと、また村山道の案内が立っていました。いっぱい案内が立っているので助かりますね。
しかし、この先にも崩壊地が待っていました。
GPSの地図を眺めると、この抉れている涸れた沢のようなところを進むようになっていますが
しばらく進んでも、足跡は見受けられず、ズブズブの泥濘と苔びっしりの岩しか出てきません。これはこの両側の縁のどちらかを進むんだろうと、もと来た道を一旦戻ります。
右側の縁沿いの方が、青いテープの量が多いみたいだったので、今度はそっちに進んでみます。
進んでみましたが、だんだんと淵との高さが上がってきて5mぐらいの高低差が出てきたところで藪に阻まれてしまいました。反対岸をみると、赤いテープが続いていたので、逆岸を進むのが正解のようでした。しかし、ここでタイムアップ。このまま水ヶ塚公園まで進んでも最終バスに間に合わないペースだということがわかったので、今回はここまでで引き返すこととしました。

五辻〜村山浅間神社

「五辻」からは、林道、車道ときた道を戻っていくこととなります。

集落の中を進んで、「村山古道」の分岐には入らずに車道をひたすら降ります。

「村山浅間神社」の裏手までくると神社のガイドさんと思われるお父さんから声を掛けられたので、鎖で閉鎖されていた場所について聞いてみました。

結果、以下のことがわかりました。

  • 鎖をくぐった先の道が村山道であっている
  • 鎖は富士山の開山に合わせて撤去される
  • あの辺りは入り組んだ土地なので、所有を謳った看板の真偽は不明

立ち話での内容なので、この回答自体も正しいか不明ですが、総じて通過に肯定的だったので、直接警告されるような事例を見かけない限りは次回も通過しようかとは思います。

何か進展あったら追記致します。

ここから、更にきた道を戻って「富士宮駅」から帰るでもよかったのですが、ふと思いついたプランを試してみることとしました。

ギャラリー

頑張って突っ込むシーンでは無いので、無理せずに下山します。
木々の間を抜けて
結構しっかり目の道を降っていくと
崩壊地を辿ることなく、ロープ張りの分岐点まで戻ってこれました。次回来た時はもうちょっと楽に登れそうです。
車道を降って
鎖の通行止めをパスしていきます。
田圃道を進んでいくと
藪だらけの「村山古道」への分岐が見えてきましたが、帰りは迷わず車道を直進です。
赤池なる看板が立っていて
野菜の無人販売所がありました。午後も半ばだったので、何も売ってませんでした。
「村山古道」まで戻ってきました。神社まではあとちょっとです。
なだらかな車道を降って行くと
駐車禁止の看板が出ていました。こんなところに路駐する輩がいるんですね。
石垣が見えてきたら
「村山浅間神社」裏手に到着しました。このまま車道を降りていくと
神社の正面まで戻ることができました。

村山浅間神社〜吉原宿

思いついたプランは、「このまま吉原まで降って海抜0mの富士塚まで行ってみよう」です。

ここからならば、ルート上電波が途切れるような場所は無いですし、距離的にも20kmぐらいなので、歩けない距離ではありません。

いつか海抜0mからの富士登頂もやってみたかったので、道中の雰囲気掴むのにもいい機会だろうということで進んでみることにしました。

まずは、昔、東海道から村山道に入るときの宿場町だった場所「吉原宿」に向かいます。

茶畑の続くのどかな道を南下していくと、途中の至る所に「村山道」を示す案内が立っていました。

ただし、この案内は登り方面だけを想定していて、降っていく時にはただの石にしか見えません。

このため、何度か道を外しては戻ると繰り返すこととなりました。

それでも、新東名高速道路、東名高速道路と通過して「吉原宿」まで進むことができました。

現在、この場所は吉原の商店街となっているみたいでしたが、18時を過ぎていたからないか、軒並み店は終了してしまっていたので、停滞することなく先に進むこととしました。

ギャラリー

まずは、「吉原宿」まで降ります。
先に歩いた、国道469号の下をくぐって反対側へ抜けます
道祖神の石像と石仏の前を通過します。
方向的には南方面に向かって降りていく形です。
かつて、上方から富士登拝に訪れた道者たちは、東海道を通って「吉原宿場」で宿泊し「村山道」と呼ばれた道を通って「村山浅間神社」に参拝。そして、富士登拝に臨んだと言われています。その名残となる道標が合計六箇所あるようで、その一つがこれらしいです。
ちょっと真新しく感じるのは、彫ってある文字をペンキでなぞっているからでしょうか。
基本的に分岐地点に設定されていて、どちらに向かうかわかりやすいようにしてくれているようでした。
ただ、登ってくる人用の道標なので、降りの際は反対側になって見落としやすいのが難点ですね。
見事に道を踏み外して降っていきます。
地図を見直して、正規ルートに合流すべく向かいます。
道を外したことで、地元の神社を見つけました。初めての土地はこういうところが楽しいですね。
本堂は戸締まりしちゃってましたが、ご挨拶しておきました。
車道に戻って進みます。
段々と民家が増えてきました。
まだ「村山道」に合流する前だと思うのですが「甲子塔」が立ってました。
なかなかの大きさで目立っていました。
そして、ようやく本来の「村山道」に合流して降っていきます。
大通りを通過して
もう一回、大通りを通過して
茶畑の間を縫って降ります。
畑の一角から、夕方の山々が見えるました。
いつか登ってみたいなあ。
ちょっと休憩入れたら先へ進みます。
信号が出てきました。段々、市街地に入ってきた証拠でしょう。
さらに降ると
道の脇に「釈迦堂」がありました。
ご挨拶しておきます。
覗いてみると、お釈迦様の石像が置いてありました。
日が暮れてきた住宅街を進みます。
東名高速道路を越える高架橋まできました。
ビュンビュン走る高速道を通過して
どんどん南下していきます。
降りだと最後、登りだと初っ端になる道標です。
こんな感じにプチマップが載っていて、次の道標まで分かりやすく示してます。これなら迷いづらいですよね。
工場の脇を入って
降って行くと
黒いニョロニョロみたいな車止めがありました。ニョロニョロに見えますよね。見えませんか。そうですか。
住宅街を降って
大通りに合流
交差点を渡って、今度は新東名高速道路を通過します。
大きくなってきた道を進むと
市街地に突入です。
地下道の脇を通過していくと
ファミレスとかコンビニとか出てきました。
地図を見ながら進んでいくと
「富知六所浅間神社」なる看板が立っていたので寄り道していきます。
正面鳥居をくぐって
案内板が立っていたので、軽く眺めていきます。主祭神は木花之佐久夜毘売ではなく、そのお父さんに当たる大山祇神みたいです。
真新しい感じの拝殿です。ご挨拶していきます。
境内にあった御神木です。この子もなかなかの大きさ、太さでした。
ルートに戻って進みます。
道中、写真を撮る気力が失せてきてしまい、吉原宿の先端地点までワープです。
「西木戸跡」という場所らしく、ここから吉原宿のエリアに入るみたいです。
ウォーキングコースの設定もされているようでした。

吉原宿〜富士塚〜JR東海道線「吉原駅」

「吉原宿」を過ぎたら、あとは「吉原駅」を通過して海抜0mとなる「富士塚」まで向かうのみです。

暗くなった車道を駅に向かって歩いて行きます。

GPSのナビ上は駅を大きく迂回して南口に出るように案内されますが、駅の建物を北口から南口に通過できるので、そっちから進みます。

普段であれば造作ないはずのちょっとした急坂に、心を折られながらもなんとか歩ききって「富士塚」の上から見えない富士山方面を拝んでゴールとなりました。

本来の富士塚は、遥拝のための場所なのですが、この「鈴川の富士塚」はこれから富士山に登頂する登拝者が旅の安全を祈って、海辺から拾ってきた丸石を積み上げてできた塚だったのだそうです。

暫し、暗闇の中佇んでいるとパラパラと小雨が降ってきたので、「吉原駅」まで戻って東海道線で家路につきました。

お疲れ様でした。

ギャラリー

ここからは完全に街中ですね。
市街地と思われる方向へ歩いていきます。
バスのターミナルが見えてきて
吉原の中心街に到着です。
「綺麗にしてね」なエリアになっているようですね。ゴミなど落とさないように進みます。
それっぽい案内も立っていました。
元は宿場町のあったエリアだったことも書いてありました。
ちょっとシャッターが閉まった店が多いのが印象的でしたが、時間が遅かったからでしょうか。
岳南鉄道線「吉原本町駅」がありました。ここから吉原駅まで電車でも行けそうです。エスケープルートとして確保しておきましょう。
薄暗くなってきた市街地を進みます。
「へいけごえ」なる橋がありました。
「平家越」という地名だったみたいです。あの水鳥にビビって敗走しちゃった「富士川の合戦」の舞台だったみたいです。
立派な石碑も立っていました。大河ドラマ効果なのか登りもいっぱい立っててちょっとびっくりでした。
そして、新幹線の高架下が見えてきました。そろそろ「吉原駅」近いかな。
すっかりバテバテの中、名勝「左富士」を通過。
「吉原駅」まで800m。あと少しという思いが強くなったからか、ここからとても長く感じました。
河合橋を越えます。
田子の浦港が近いからボートがいっぱいです。
そして、やっと「吉原駅」に到着です。
駅の反対側に行くために階段を登ります。
この駅は反対側へ通過可能なのが助かりました。
南口に出て、さらに南へ進みます。
避難所のある公園の脇を通過するのですが
ここの坂が、結構きつかった。ワタクシのアンヨ、だいぶお疲れだったみたいです。
普通の民家の軒先に
富士塚への案内が出ていました。
「本当にこっちで良いのかな」というくらいフツーの住宅街です。
「富士塚」見えてきました。赤い鳥居に、青い看板。ちょっとワチャワチャしててイメージと違いましたけど。
例のルート3776のスタート地点ですね。
昔は、ここから海岸線に出て海で身を清めて、ここに石を積み上げて富士山に臨んだんだとか。海水で身体を洗ったらベタベタになっちゃうと思うのだけれど、そこも含めて修行だったのかな。
iPhoneが優秀すぎて昼間みたいですが、実際には暗闇の中で、鳥居くぐるのに一瞬、躊躇しちゃいました。
海抜0mの案内の先に
富士塚を発見しました。思ってたのより、だいぶ大きいです。
登ってみました。晴れていると、この後ろに富士山が見えるみたいですね。親子富士とか言うらしいです。雨ザーザーになってきたので速やかに撤収です。
本降りになってきた雨の中を足速に戻って「吉原駅」でゴールです。思った以上に距離があって、「村山浅間神社」から5時間近くかかってのゴールでした。ルート3776を日帰り往復する輩もいるみたいですが、わたしには無理かなあ。それではお疲れ様でした。

まとめ

「大宮・村山口登山道」を辿って、富士山の麓「水ヶ塚公園」まで行ってみよう作戦に大失敗した時の様子でした。

勝手知った登山道を、切り詰めに詰めてタイムアタックしたり、走行距離を伸ばしたりというのも楽しいものですが、初めての土地、初めての道、初めての風景を体験しながら、試行錯誤で進む山行というのもたまには良いものです。

絶対に無理をしないという前提のもと行動する必要はありますが、ルートファインディング力を養うには、なかなかに良い手段だと思います。

途中敗退したとしても、新たなミッションが増えて良いネタになるので、どちらに転んでも美味しいので、時々、知らない山、知らない土地にも赴いてみてくださいね。

それでは、ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

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