山での遭難事故にはいろいろな理由がありますが、ダントツに多いのが「道迷い」です。
インターネットの発達した昨今、「道に迷ったら見覚えある位置まで引き返す」「沢を降っていってはいけない」といった道迷い対策の知識は一般常識レベルで知れ渡っていますし、スマートフォンのGPS機能を使った地図アプリの精度もかなり完全されていて、余程特殊な事情がなければ道に迷うはずがないと考えてしまうのも仕方の無いことだと思います。しかし、ある心理状態に陥ってしまうと、いつも冷静に対処できている自分にも道に迷い、山中を徘徊するリスクがあることを理解しておく必要はあります。
今回は、そんな道迷いを生じてしまう心理状態について説明した後、そのような状態に陥らないようにする対策についても解説していきます。
人は正常性バイアスにより道に迷う
人が道迷いに陥ってしまう心理状態について、結論から述べます。
それは、正常性バイアスという心理状態によるものです。
正常性バイアスとは、予想外の事態や信じたくない出来事が起こったときに心の平安を保つために「そんなことはありえない」という心理的な防壁を作って行動しないことを正当化しようとする認知の歪み(バイアス)になります。
この認知の歪みは、日々発生する様々な変化や出来事に対して心が過剰反応して疲弊しきってしまわないようにする心の防衛機構です。
平常時であれば冷静な判断を取るための平常心を作り出す手助けとなりますが、非常時には「大した問題ではない」「自分だったら大丈夫」といった自分に都合の良い解釈を生み出す結果となり、その誤認により最悪の事態を生じさせてしまうといったリスクを孕んでます。
山での道迷いというのは、想定していなかった非常事態にあたります。
そこから発生する不安や焦りといった心理ストレスが正常性バイアスを誘発し、「まさか迷うはずがない」「このまま進めば、いずれ正しい道に合流できる」といった判断を生じさせ、引き返すべきところを突き進んでしまうことで遭難に至るというプロセスを辿ることになるということです。
これは、人間であれば防ぐことはできないものなのでしょうか?
次章からは、正常性バイアスを発生させないための対策についての考察を進めていきます。
正常性バイアスを発生させないための対策
前章で、道迷いは正常性バイアスによって発生すると説明しました。
ここからは、非常時に正常性バイアスを発生させないための対策について述べていきます。
まず結論として、正常性バイアスを発生させないことは不可能です。
人間であれば誰でも正常性バイアスによる誤認を発生させてしまう可能性があります。
したがって、誤認が発生してしまう前提で対策を講じる必要があります。
具体的には「見たことない道に出くわしたり、道が途切れたりしたら、事前に決めた特定の行動をとる」ということを頭と体にしっかりと紐付けておくということになります。
この特定の行動については、様々なものが考えられますが、自分が最善だと信じられる行動であることが重要です。信用していない行動では、咄嗟のときにそのように体が動いてくれません。
そして、頭と体に行動を紐付ける有効な手段としては「指差し確認」や「行動を声に出す」という行為が挙げられます。
一例としてわたしが道迷いの不安を感じたときの行動を述べると以下のようなルーティーンになります。
いまのところ、このルーティーンで致命的な道迷いに陥ることは回避できています。
また、大きな声を出す必要もありません。自分だけに聞こえるささやき声でも効果ありと思っています。参考になれば幸いです。
過去に発生した道迷い遭難事例
最後に、過去に発生した道迷い遭難事例のなかでも代表的な事例2つを紹介します。
八甲田山雪中行軍遭難事件
まずは、戦前の日本陸軍が起こしてしまった世界的にみても最大規模の遭難事件、八甲田山雪中行軍遭難事件です。
新田次郎の小説が非常に有名なこの事件ですが、様々な原因が挙げられています。
最悪な天候急変、劣悪な装備、指揮命令系統の混乱、そして圧倒的な情報不足と調べれば調べるほど遭難すべくして遭難したと言わざるを得ない状況なのですが、この中に正常性バイアスをベースとした楽観的誤認というものがあったのではないかと考えます。
当時は行軍初日から天候が急変し、暴風雪の中で深雪をかき分けて進まなければいけない過酷な状況にあったと言われています。しかし、若い下士官からの行軍継続の熱気ある声に押され、行軍継続という致命的な判断を下してしまうことになります。
雪中行軍の経験乏しい将兵たちの大多数が「このような過酷な状況でも自分たちであれば大丈夫」と考えてしまった要因には、非日常環境にて発生する正常性バイアスというのが強く働いたとわたしは考えています。
大峰山遭難事故
続いては、1975年と近年に起こった道迷い遭難事故です。
この事故は、4人の高校生が2泊3日の予定で沢登りに出かけたが、途中で道に迷ってしまい遭難事故に発展。多くの救助隊を動員するも発見に至らずに捜査打ち切りとなった10日後に奇跡的に発見救助されたという事例になります。
メンバーの中で沢登り経験のあったのはリーダーのみでしたが、豊富な経験からくる慢心から道を外れて進んでいることに気づかずどんどんと深みにハマっていき、結果、進退を窮する道迷いに陥ったということのようです。
慢心とは「自分なら大丈夫」という楽観的な誤認と類似しており、ここにも正常性バイアスによる認知の歪みというのがあったのでしょう。
そして、先に進めば進むほど「ここまで進めたんだ。あと少し先に進めば道は開けるだろう」と、どんどん深みにハマっていき、二進も三進も行かない状況に陥ってしまったのだろうとわたしは考えます。
まとめ
GPS機器を始めとした通信機器の発達によって、現在位置を特定する方法はより簡単で高精度になってきていますが、未だに道迷いがあとを絶たないのは、「正常性バイアス」と呼ばれる人の心理状態によるものです。
自分だけは大丈夫などと思わずに、事実を謙虚に受け止めて、いざというときの対策をしっかりと講じることで、周囲に大迷惑をかけてしまう事態を起こさないようご注意いただければ幸いです。
最後に、過去発生した山岳事故を元に原因別の対策などをまとめた記事もあります。興味ありましたら、こちらも読んでいってくださいね。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございます。
コメント